私設図書館キュレーター・青木真兵さん

“普通”と言われる物事を問い直す。人文系私設図書館「Lucha Libro(ルチャ・リブロ)」


2017年5月取材(取材・文=赤司研介 写真=西岡潔)

小さな橋を渡り、杉・檜の木立を抜ける。伊勢街道に沿うように流れる川向かいに、青木真兵(しんぺい)さんの自宅はある。常に川の音が聞こえ、ゆるやかな風が肌に触れる。

訪ねたのは5月の初め。日が伸びて、まだ薄暗くなり始めたくらいの18時過ぎ、チャイムを鳴らすと奥様の海青子(みあこ)さんが招き入れてくれた。真兵さんはまだ仕事から帰っていなかった。

中に入るとまず目に飛び込んできたのが、大量の書籍が収められた本棚だった。それもそのはず、青木夫妻は自宅の一部を開放して、人文系私設図書館「Lucha Libro(以下ルチャ・リブロ)」を開設している。歴史・文学・思想・サブカルチャーなど、人文系の書籍を中心にラインナップはさまざま。その数は約2000冊にのぼる。

本についての雑談をするうちに、真兵さんが仕事から帰宅。取材に同席した東吉野村在住のメンバーの顔を見るなり、地元ならではの話題を中心に軽妙なやりとりが交わされた。そこへ海青子さんが夕食を運んでくる。メニューは、近くで採れた雪の下やたけのこなど、旬真っ只中にある山菜のてんぷら、小松菜と揚げのおひたし、八宝菜、たけのことわかめの煮物、ごはん。土地の恵みを存分にいただく、なんとも豊かな料理が食卓に並べられた。

人文系私設図書館とは?

私設図書館とは何か、聞きなれない言葉なのでよくわからないという人もいるだろう。簡単に言えば、自分たちが持っている本を並べて図書館と名乗っている、ということ。しかし、この夫婦はどちらもいわゆる素人ではない。

妻の海青子さんは長い間、図書館司書として働いてきた経歴をもち、図書館運営のノウハウや本についての知識は折紙付。

かたや真兵さんは、「ルチャ・リブロ」のキュレーター(学芸員)を名乗っているが、もともと関西大学の博物館学芸員であり、研究者であり、非常勤講師として教鞭をとっていた人物でもある。海青子さんの物語にも触れたいところだが、今回は特に夫の真兵さんにフォーカスしていこうと思う。

真兵さんは、埼玉県の出身。東京の大学を卒業後、『古代地中海史』を学ぶために関西大学の大学院に進んだ。好奇心の対象は、古代地中海に存在していた都市「カルタゴ」に生きていた「フェニキア人」。ローマ帝国に滅ぼされ、敗者とされる民族だ。

真兵さんは、「滅ぼされてしまった人々が、どんな民族だったのか知りたかった」と語るが、有史以降も、侵略により消滅に追いやられた民族は山ほどあるはず。それでも彼を「フェニキア人」の研究に駆り立てたのは、2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件」発生時に抱いた「一神教はどこから来たのか」という疑問だった。

「アメリカ同時多発テロ事件はキリスト教とイスラム教の戦いと言われています。当時、高校生だった僕は、争いの原因となっている一神教がどこで生まれたのか、気になって調べていきました。そして行き着いたのが、「フェニキア人」が生きていた古代地中海だったんです。しかも「フェニキア人」は、ヨーロッパの原点とも言えるローマ帝国に滅ぼされ、敗者として、偏見とともに語られている。その歴史が、キリスト教とイスラム教の構図に重なって見えたんです」

文字資料を残していない「フェニキア人」の研究者は多くない。そのため、考古学や歴史学の資料や史料を駆使して、あらゆる方法で検証していく必要があった。その考古学と歴史学を行き来する研究者も多くないという。

なぜそんな手間をかけてまで「フェニキア人」を研究するのか。話を聞いていると、真兵さんは、世間で“普通”と言われる物事に対し、強い違和感をもっているのだとわかってきた。世界で“普通”と言われることが、なぜ“普通”なのか、「問い直し」をしているのだ。

“普通”を問い直す、さまざまな手段

「ルチャ・リブロ」のホームページには次のように記されている。

「人文系私設図書館ルチャ・リブロは、図書館、パブリック・スペース、研究センターなどを内包する、大げさにいえば「人文知の拠点」です。蔵書は歴史や文学、思想、サブカルチャーといった人文系の本を中心としており、「役に立つ・立たない」といった議論では揺れ動かない一点を常に意識しています。話をどんどん先に進めるというよりも、はじまりに立ち戻るような、そしてその始点自体が拠って立つところをも疑問視するような、そんなところです」

特に注目してほしいのは、「話をどんどん先に進めるというよりも、はじまりに立ち戻るような、そしてその始点自体が拠って立つところをも疑問視するような、そんなところです」という部分。つまるところ、「ルチャ・リブロ」もそもそもを「問い直し」しようとする拠点なのである。

また、真兵さんは「オムライスラヂオ」という名前のラジオ番組を自ら制作し、定期的に発信している。これも「問い直し」の一つ。始めたきっかけは2011年3月11日の東日本大震災だったという。

「今まで信じていたものが信じられなくなったという感覚があって。思ったことが言える、したいことができるような場所や手段をつくりたいと強く思いました。スポンサーが降りたら番組がつくれないでは、自分が本当に伝えたいことは伝えられない。ゼロかイチかではなくて、お金の力に影響されない部分も、生活の中につくっておきたかった。オムラヂは誰が聞いているというわけではないんですが(笑)、そういう場所を自分たちが持っているというのが大事だと思うんですね」

もう一つだけ例をあげてみよう。真兵さんは無類のプロレス好きだ。それこそ、4年ほど前に偶然知り合った作家の竹内義和さん所有のイベントルームで、月に一度、プロレスをテーマにトークイベントを行うほどに。

「プロレスってスポーツだけど、勝敗は決まっていて、プロセスは選手間に任されています。勝負論じゃない部分があったり、勝負に見えたり、とても曖昧なものです。このゼロかイチかでは語れない部分に、おもしろさがあるんです」

個人的にはこれまでプロレスをおもしろいと思ったことはなかった。が、ゼロかイチかでは語れない、曖昧なもの、寛容でなければつかめないものにも、おもしろさや価値があるのかもしれない。

移住前後の暮らしと仕事

東吉野村に来る前、真兵さんと海青子さんは兵庫県西宮市で暮らしていた。利便性を優先して、自宅はショッピングモールの目の前に構えた。仕事は、関西大学博物館の学芸員をしながら、毎月東京に2〜3回出張するといったサイクル。最愛の人と、通勤に便利な家に住み、給料のいい仕事をして、幸せな暮らしを送るはずだった。

しかし、短期間の間に二人とも体調を崩してしまう。「振り返ってみると、場所も仕事も、いろんな意味で無理をしていた」と真兵さん。その頃から二人は、肉体的にも精神的にも健やかな暮らしを求めて、地方での生活を望み始める。そして、たまたま真兵さんの大学の友人に案内されてやってきたのが「オフィスキャンプ東吉野」だった。ここでの出会いをきっかけに、青木夫妻は東吉野村への移住を決断。直感だった。

縁がつながり、「社会福祉法人ぷろぼの」での障がい者就労支援という仕事も見つかった。週5日、うつ病や発達障がいといった特性を抱えている人たちが行う、集団で働く上での訓練を手伝っている。これまでと大きく異なる内容の仕事だが、違和感はなかったという。

「もともと大学院には変わった人がたくさんいたので、慣れていたというのが一つ。もう一つは、そもそも発達障がいってなんだ、って話です。みんな同じ発達をするってことの方がおかしいですよね。いろんな人がいる社会の方が自然だし、「普通って何?」と問い直す生の現場なので、とても楽しいです」

犬を飼い、早朝から散歩に出かける。休みの日は寝転んで読書に耽る。毎週のように混雑と無縁の村営温泉に入る。地区の神社の氏子に入り、共同墓地の清掃や年1回のお祭りにも参加している。「よく眠れて、薬は飲んでいるものの、すっかり元気になりました。あと、ぼーっとできるようになりましたね」と真兵さんは笑う。

「こちらに来てみて改めて思うようになったんですが、“普通”って大概が都市の価値観なんだなって。頭で考えたこと、効率や数値化できることが正しくて、そうでないものの話はしてはいけないとか、“普通”という言葉によって最初から入り口が狭められている。でも、こっちに来てみると、新緑一つとっても一色じゃないんだとか、効率や数字では語れない素晴らしさがたくさんある。他人の評価がないと幸せになれないと思っていたけれど、そんなことないんだと、自信をもって思えるようになりました」

文脈を共にする人々と繋がっていきたい

「ルチャ・リブロ」では、定期的に「土着人類学研究会」という集まりを開いている。「土着」には二つの意味があるという。一つは、地に足をつけて生きるということ。もう一つは、その人の「どうしても変えられない」「どうしても好き」といった“逃れられない病”だ。ゲストにそれぞれこのふたつを共有してもらい、そこから学ぶことで、参加者自らの問い直しにつながればいいなと、2人は考えている。

そして、「10年先20年先を見据え、研究会や図書館を通じて、お金だけじゃないよねという文脈を共にする人たちと出会い、関係をつくって生きていきたいと」と胸の内を語ってくれた。

この地に暮らし、図書館を営み、研究会を開く。それこそが、真兵さんの土着であり、自分自身への問い直しなのだ。

さて、あなたの“普通”はなんですか? その“普通”に、本当に価値はありますか? もし興味が湧いた方は、ぜひ“普通”を問い直しに、「ルチャ・リブロ」を訪ねてみてください。

青木真兵

1983年生まれ。2016年4月に西宮市から移住した。妻(司書)、猫、犬とともに自宅を開放し、人文系私設図書館Lucha Libro(ルチャ・リブロ)を運営している。博士(文学)。土着人類学研究会を主宰。社会福祉法人ぷろぼのに勤務しながら、大学などでヨーロッパ史を講義。月に一度、大阪でプロレスのトークイベント「はじめてのプロレス夜話」を行っている。実験的ネットラヂオ「オムライスラヂオ」も配信中。 人文系私設図書館Lucha Libro(http://lucha-libro.net/)・オムライスラヂオ(http://omeradi.org/)

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