東吉野村とニホンオオカミ
愛情と理性に富んだ共同生活!
オオカミとは?
オオカミは、食肉目イヌ科に属し、イヌ、キツネ、タヌキ、ジャッカルと同じなかまです。ライオンがネコ科の代表であると同時にオオカミはイヌ科の代表です。生息地は北半球の北部のヨーロッパ、アジア、アメリカの各大陸にわたっていますが、最近は生息数が急減しています。一番多くいるところは、年平均気温が0℃から10℃の寒冷地で、体は7㎝もある綿毛で覆われています。口先がとがっており肢が長く、耳が立っていて尾はたれて軽快なやせ形です。時速40kmぐらいで70kmもの長距離を走って獲物を追ったりします。首を伸ばし口を上げて長い遠吠えをする特有ななき方をすることがあり有名です。穴を住居とし永久的な一夫一婦の家庭生活をするといわれます。また、獲物を追うときは、群れを作り助け合って共同生活をいとなんでいます。
オオカミは、昔話やことわざの中に恐ろしい動物として登場しますがその内容を調べてみると、オオカミの姿や習性をよく知らずに幻想として作られた話が多いようです。またオオカミを恐れながら一方では、彼らに愛着と尊敬の心を抱き続けてきたようです。
こつぜんと姿を消したニホンオオカミ
ニホンオオカミとは?
日本には、2種類のオオカミがいました。1種は北海道のエゾオオカミもう1種は本州、四国などに生息していたニホンオオカミです。ニホンオオカミは、学名Canis hodophilaxといい、現在実物標本3体が日本に保存されています。また、オオカミの中で一番小さい種で、4肢と耳が短いですが、それでもイヌにくらべればはるかに大きく、体毛は長く、前足前面に黒褐色の斑紋があります。頭骨は短小で口先は短く広いのが特徴です。明治のはじめまではかなりの数が生息していたようですが、エゾオオカミと相前後して姿を消してしまったのです。その後各地でニホンオオカミの生存を伝える情報がありましたが、生存を裏付ける証拠もなく、本村が最後の捕獲地となってしまいました。ニホンオオカミは古来から人畜に害を与えず、シカなどを獲物にして生きてきました。なぜ姿を消してしまったかは、今なお解明されておりません。
最後に捕獲されたニホンオオカミ、海をわたりロンドンへ
明治38年(1905年)1月23日、本村の鷲家口において、米人マルコム・アンダーソンが入手したニホンオオカミの経緯を回想すると。アンダーソンは、イギリスの有名な貴族、ベットフォード公の出費で、ロンドン動物学会とロンドン自然史博物館とが企画した東亜動物学探検隊員として、明治37年7月来日。まだ25才の青年でした。そして通訳をかねた助手として雇われた当時第一高等学校の学生、金井清氏とともに、明治38年1月11日、奈良県庁で狩猟許可を得て、桜井を経て13日から当村の鷲家口の芳月楼という宿屋に泊まっていました。23日の朝、採取したネズミをはく製にしていたら、3人の猟師が1頭のニホンオオカミの死骸を持ってやってきました。この時、猟師は十数円を要求しましたが、金井氏は8円50銭を主張しました。日当たりのよい宿屋の縁側で、長い間交渉しましたが、ついにまとまらず、猟師たちはオオカミをかついで立ち去ってしまいました。「このときのアンダーソンの失望は言語に絶するものだった。元来無口のアンダーソンが、買えばよかった、再び手に入らないかもしれないと独り言をいいながら片足を立てて縁側に腰掛けた顔は今日も、ありありと残っている。」と金井氏は当時の模様を記しています。ところが金井氏の期待にたがわず猟師たちはやがて引き返してきて8円50銭で折り合い、オオカミは売り渡されました。「これが、日本で捕獲された最後のニホンオオカミになろうとは、当時、想像も及ばないことである。アンダーソンとともに、鋭利なナイフで皮をはいでいる間、3人の猟師はたばこをすいながら眺めていた。腹がやや青味を帯びて腐敗しかけているところから見て、数日前に捕れたものらしい。」と金井氏は記しています。このニホンオオカミは、若い雄で、現在もロンドン自然史博物館に、頭骨と毛皮が保存されています。その大きさは、頭と胴91.4㎝、尾34.0㎝、耳8.6㎝と記録されています。ちなみにアンダーソンは鷲家口において、この他にイノシシを3円50銭、シカの皮を4円45銭、カモシカ2頭を9円50銭、その他、タヌキ、イタチ、ムササビ、モモンガ、リスなどを購入し、1月26日名古屋へ向けて出発したと記録されています。
ニホンオオカミ像
1987年(昭和62年)小川(旧名「鷲家口」)に、東吉野村がニホンオ
オカミの等身大ブロンズ像を建立しました。
製作者■故 久保田忠和氏
昭和2年 和歌山県生 奈良教育大学教授
ニホンオオカミ像の場所はこちら
「具像の彫刻は、モデルがあってこれを観察して作るのがごく一般的である。勿論、単にモデルの形を再現するのではなく、製作者の作意によってそれは彫刻化されるわけである。だが、ニホンオオカミは今日その姿を見ることは出来ないから、他のオオカミや文献などによって、先ずはモデルを作らなければならなかっ
た。この心像をモデルにしてポーズを決め製作したわけである。資料によって、これがニホンオオカミの形だといえるどんな小さな部分もおろそかにできなかった。モデルを彫刻化することは無意識のうちにも働く神経だが、当然のことながらこの像に私の彫刻性を強く押し出すことはなかった。この像は、等身大のブロンズ製であり、いわばニホンオオカミの肖像である。」
「ニホンオオカミの像」パンフレット(発行■東吉野村教育委員会)
ニホンオオカミ絵本
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