丹生川上神社
[本 殿]
[有形文化財(建造物)]
丹生川上神社 本殿、東殿、西殿
[所 在 地] 東吉野村大字小
[所有者の住所] 東吉野村大字小
[氏 名] 丹生川上神社
[時 代] 江戸時代後期
[構造形式]
本殿 三間社流造 桧皮葦
東殿 一間社流造 三棟 各相の間で接続 桧皮葦
西殿 一間社流造 三棟 各相の間で接続 桧皮葦
[説 明]
廿二社註式によれば、「人声の聞こえざる深山、吉野丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀せば、天下のために甘雨(草木を潤すほどよい雨)を降らし霖雨(幾日も降り続く雨)を止めん」という神教によって、天武4年(675)に丹生川上神社の社殿を初めて造営し水神罔象女神を斉祀されたと伝えられている。丹生川上神社が文献に初見するのは『続日本紀』で、天平宝字7年(763)5月28日条に「幣帛を四畿内の群神に奉るに、その丹生河上神には黒毛馬を加える」とある。六国史の記録によると、丹生川上神社への奉幣は、淳仁天皇から御土御門天皇まで96回に及んでより、朝廷の崇敬が著しかったことがわかる。本殿は、身舎を内陣と外陣にわけ内陣は床を一段上げ外陣は畳敷となっている。本殿の左右には、東殿・西殿が配置されているが、いずれも一間社の本殿3棟を相の間でつなぎ、一体の屋根をかけて五間社とした特殊な造りをしている。3殿とも造られた年代は異なるが、細部様式はかなり工夫されうまくまとめられている。また極彩色の装飾がほどこされ、豪華で大規模な幕末期の神社建築として価値が高い。なお、神社の境内地は、諸説ある吉野離宮跡の一つと伝えられている。
[東 殿]
[西 殿]
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